さあ、それがわたくしの三十二のとしでござりました。
もっともそのおり都へのぼりまして太閤でんかにおめどおりをねがい、ことの次第を申し上げましたら、一生くうにこまらぬほどのお扶持はいたゞけたでござりましょうけれども、このまゝつみのむくいを受けて世にうずもれてしまおうとおもいきわめまして、それよりきょうまで宿場々々をわたりあるいて旦那さまがたの足こしをもみ、またはふつゝかな芸をもって旅のつれ/″\をおなぐさめ申し、三十余年のうつりかわりをよそにながめてくらしながら、いんがなことにはまだ死にきれずにおりますようなわけでござります。
そういえばお茶々どのは、あのときはあれほど太閤でんかをおうらみあそばされ、「おやのかたき」とまでおっしゃっていらっしゃいましたのに、まもなくそのかたきにおん身をおまかせなされ、淀のおしろに住まわれるようになりましたが、わたくしは北の庄のおしろが落ちました日から、いずれそうなるだろうとおもっていたことでござりました。