そして、そう思って見る時、公の面貌に甚だ悲壮な、惨澹たる懊悩の影が現れ、勇ましい鎧武者の姿が、残虐な桎梏に呻吟している囚人の如くに映じて来る。
尚深く疑えば、兜の前立の装飾についても、鬼を蹈まえて立っている帝釈天は公の武勇を表象するものであり、脚下に蹈まれて喘いでいる醜悪な鬼の方も亦或る場合に於ける浅ましい方面の公を暗示するようでもある。
もちろん此の絵師はそんな意図を以て畫いたのではなく、公の秘密について何も知る所はなかったのであろうが、たゞ忠実な写実の結果としてこう云う肖像畫が出来たのであろう。