歴史の記すところに依ると、薬師寺弾正政高は天文十八年十月牡鹿山の城攻めの際に陣中に於いて病を得、囲みを解いて京都に帰ったが、それから十日ばかり後に油小路の館に於いて病歿したとなっている。
しかし此のことが事実でないのは「道阿弥話」や「見し夜の夢」に徴すれば疑いの餘地がない。
たゞその当時事件の真相を知っていた者は、寄手の極く少数の人々と、城の方では法師丸一人だけであった。
歴史の記すところに依ると、薬師寺弾正政高は天文十八年十月牡鹿山の城攻めの際に陣中に於いて病を得、囲みを解いて京都に帰ったが、それから十日ばかり後に油小路の館に於いて病歿したとなっている。
しかし此のことが事実でないのは「道阿弥話」や「見し夜の夢」に徴すれば疑いの餘地がない。
たゞその当時事件の真相を知っていた者は、寄手の極く少数の人々と、城の方では法師丸一人だけであった。