ありていに云うと、彼が筑摩家に仕えているのは一時の便宜からであって、累代の主従関係ではないのだが、一閑斎の時からの養育の恩を思えば自然則重に対しても敬愛の情を抱き、彼のために忠勤を励む心は、此の時まで他の家来たちと異なる所がないのであった。
されば此の時の河内介は、図らずも一大事の密書を手に入れて則重の身にかゝる禍を未然に防ぎ得たのを喜び、直ちに此のことを則重に告げるべきであり、それが又その場合の義務であったに拘わらず、彼の心はそう云う風に動かないで、実に不思議な邪路に這入った。
と云うのは、こゝで彼の胸臆に長いあいだ眠っていた女首へのあこがれが、急に明瞭な形を取って眼ざめたのである。