蓋し武州公の如き被虐性の性慾を持つ人は、やゝともすると相手の女性を己れの注文に応ずるような型に当て篏めて空想するから、実際に於いてその婦人は彼が語るような残忍な女子でないことが多い。
現に桔梗の方が夫を不具にした事蹟なども、武州公自身が懺悔している「道阿弥話」の記事と、妙覚尼の筆に成る「見し夜の夢」の観察とは著しく相違した点があり、或る所では別人の如き感じを受ける。
前者に依れば生れつき虐を好む傾向が備わっていたように見え、後者に依れば父の耻辱をそゝぐ一念から恐ろしい望みを起したものゝ、矢張平素は上﨟にふさわしい優しい心根を持っていたように見えて、此の方が真相に近いのであろうが、たゞ妙覚尼は直接此の夫人を知っていた訳ではないから、幾分遠慮して書いているようにも思える。