しかしそんなことは、馴れるに従って当人も周囲も一向気に留めないようになるものである。
織部正自身も、最初は確かに悲観したらしかったが、いつか家来共も自分の顔を平気で見てくれるようになったし、言葉も巧く聞き取ってくれるので、バツの悪い感じは忘れられてしまい、主にも家来にもそれが当り前のことに思われて来た。
中には、跛足で眇眼でちんちくりんの山本勘助の例を引いて、体の器官に不備な所があるのは却って威容を増すものだなどゝ云う風に上手に吹っ込む者があると、だん/\当人も慰められて、「それもそうだ」と云う気持になるらしかった。