或る日の午後、河内介は例の如く石崖の下の淋しい場所へやって来て、木の根に腰をかけながら茫然としていたが、彼の眼は自らその石崖の上に聳え立つ土塀を超えて、鬱蒼と蔽いかぶさっている奥庭の森の梢に、その梢の間に隠見する建物の屋根に注がれた。
そして、「あゝ、あの辺が御殿なのだなあ」と思うと、こんなに近くまで来ていながら、その人の忠実な家来となってどんな忘恩の仕事にでも手を貸そうと云う自分の心を訴える道のないことが、つく/″\恨めしくもあり、又それ故に恋いしさは一層ひし/\と迫るのだった。
そのとき彼の眼は遣る瀬ないあこがれを籠めて、石崖から屋根にいたる間をいつ迄も視詰めていたことであろうが、やがて、ふと気が付いたのは、石崖の一番下の、土に接しているあたりに、或る一箇所だけ苔の剥がれている部分があった。