彼女は口と頭の周りとを強く壓迫されながら辛うじて殿様に声をかけたが、同時に肋骨のあたりにしたゝか打撃を加えられて、そのまゝ前後不覚になった。
そう云う訳で、もしもその晩桔梗の方が眼をさまして夫と侍女の居ないことに不審を起さなかったとしたら、二人はいつ迄廊下に倒れていたことか知れなかった。
尤も夫人や女中共が騒ぎ出した時分には、とうに曲者は影も形も見えなくなって、たゞ織部正の面上に鮮やかな手術の痕ばかりを留めていたのであるが、不思議なことに、曲者は逃げるに先立って、傷口に血止め薬を塗り、ぺたんこになった顔のまん中へ膏薬まで貼って行ってくれたのである。