頃しも五月五日、菖蒲の節句の日を選び織部正桔梗の方と同列にて諸士を集め和歌の催し事有之、かね/″\申触れ候ことなれば敷島の道を嗜む者共いでや秀歌をうたひ出して褒美に預からんものと存候事に候、されど牡鹿山の城中弓矢取りては耻かしからぬ武士共罷在候へ共、かゝる風流の会は何とやらん不案内にて物怯ぢやしたりけん、戦場の儀ならば功名をも争ふべけれ、和歌を以て面目を施すこと我等が本意にあらずとて、集まる者も多からず、皆々案に相違の態にて白け渡りて見え候
と「道阿弥話」は記している。
当時、乱世の武将でも歌道の心得のある者が少くなかったとは云え、それは育ちのよい大名の子弟たちのことで、一般の武士は文字に暗かったから、まして風流韻事を楽しむ者などは稀であった。