唯併しながら、二人共筑摩家の滅亡が近きにあることを期していたので、尚此の後の手筈を示し合わせ、やがて再会の日を約しつゝ暫しの別れを告げたのであった。
池鰹鮒家の息女お悦の方、―――後の松雪院は、河内介が多聞山の城に帰ってからまだ半年もたゝない永禄元年の三月に、桐生家に輿入れした。
時に河内介は二十二歳、松雪院は十五歳であったと云う。
唯併しながら、二人共筑摩家の滅亡が近きにあることを期していたので、尚此の後の手筈を示し合わせ、やがて再会の日を約しつゝ暫しの別れを告げたのであった。
池鰹鮒家の息女お悦の方、―――後の松雪院は、河内介が多聞山の城に帰ってからまだ半年もたゝない永禄元年の三月に、桐生家に輿入れした。
時に河内介は二十二歳、松雪院は十五歳であったと云う。