此の道阿弥は武州公に関する貴重な記録を遺したところの、「道阿弥話」の筆者であって、かねてから此の城中の表向きに仕え、軽口や愛嬌を売り物にしていたのが、その夜はじめて女中方のお伽をするために若夫人の御殿へ召されたのであった。
道阿弥自身の語るところでは、
愚老若年にて多聞山城中に御奉公仕り専ら侍衆の御座敷相勤め居候ところ瑞雲院様その頃は未だ河内介と申され若殿にておはしませしが、あれは可笑しき坊主なりとて御目を掛けられ愚老も有難き事に存じ日々油断なく出精罷在候然るところに一日愚老をお呼びなされ其方誠に物真似の上手なれば今宵女中共の慰みに見物させばやと思ふなりとて奥御殿へ召連れられ、忝くも松雪院様へ御目通を許され候云々