然るにいかゞしたりけん、此事いつしか檜垣へ洩れ聞えければ、宗徒共意外の思ひをなし、我等年来筑摩殿に対し少しも異心を存ぜざりしところに故なく討手を向けらるゝこそ安からね、よし其儀ならば坐して滅亡を招かんよりは此方より攻入つて武勇の程を示さんには不如とて、去年の冬頃より内々人数を狩り催す云々」と。
按ずるに、牡鹿城没落の端緒が此の一向衆との争いに発したことは正史の記す通りであろう。
しかし桔梗の方をそゝのかして則重を口説き落し、遂に檜垣の宗徒等と事を構えるようにさせた黒幕が、武州公であったろうことは略〻想像がつくのである。