いったい檜垣衆の立て籠る浅沼郡は、筑摩家の本領と武州公の本領の中間に介在していて、筑摩家の方は西、武州家の方は東にあった。
それで最初、筑摩将監が発向する時、多聞山へ使者を立てゝ敵の背後を衝くようにと云う命令を伝えたのであったが、武州公はそれを体よく断ってしまった。
公の申し状は、「某の家は父輝国以来筑摩殿の恩顧を蒙つてゐるから、唯今の場合粉骨を盡すのが本意だけれども、難儀なことには、曾祖父の代から一向宗に帰依してゐるので、分けて檜垣の衆とは特別な間柄になつてゐる。
いったい檜垣衆の立て籠る浅沼郡は、筑摩家の本領と武州公の本領の中間に介在していて、筑摩家の方は西、武州家の方は東にあった。
それで最初、筑摩将監が発向する時、多聞山へ使者を立てゝ敵の背後を衝くようにと云う命令を伝えたのであったが、武州公はそれを体よく断ってしまった。
公の申し状は、「某の家は父輝国以来筑摩殿の恩顧を蒙つてゐるから、唯今の場合粉骨を盡すのが本意だけれども、難儀なことには、曾祖父の代から一向宗に帰依してゐるので、分けて檜垣の衆とは特別な間柄になつてゐる。