公の申し状は、「某の家は父輝国以来筑摩殿の恩顧を蒙つてゐるから、唯今の場合粉骨を盡すのが本意だけれども、難儀なことには、曾祖父の代から一向宗に帰依してゐるので、分けて檜垣の衆とは特別な間柄になつてゐる。
されば筑摩家とは父子二代の縁故、一向宗とは曾祖父より四代の縁故があるので、強ひて孰方かへ味方をせよと云はれゝば、寧ろ檜垣へ附かねばならない。
併しながらそれは素より某の好む所でないから、何卒両方へ義理が済むやうに局外に立たせて戴きたい」と云うのであったが、恐らくそんなことは口実に過ぎなかったであろう。