されば筑摩家とは父子二代の縁故、一向宗とは曾祖父より四代の縁故があるので、強ひて孰方かへ味方をせよと云はれゝば、寧ろ檜垣へ附かねばならない。
併しながらそれは素より某の好む所でないから、何卒両方へ義理が済むやうに局外に立たせて戴きたい」と云うのであったが、恐らくそんなことは口実に過ぎなかったであろう。
牡鹿山では密書の件があるものだから頻りに馬場氏の方を気にして、檜垣の騒動も和泉守が操っているように疑っていたけれども、馬場氏は何等此の叛乱に関係したような形跡がないので、その実怪しいのは武州公であった。