斯くて聯合軍は東から、横輪豊前の兵は南から、互に連絡を保ちつゝ筑摩領を縮めて行って、やがて一手に集まった両方の軍勢が牡鹿城を包囲した。
時に永禄二年八月、―――嘗て薬師寺弾正政高が此の城を囲んだ天文十八年から、ちょうど十年の後であった。
薬師寺の時の寄せ手は二萬と云う数であったが、今度も武州公の麾下と、檜垣衆と、横輪勢と、三つの兵力が合していたから、略〻同じ数に達していた。
斯くて聯合軍は東から、横輪豊前の兵は南から、互に連絡を保ちつゝ筑摩領を縮めて行って、やがて一手に集まった両方の軍勢が牡鹿城を包囲した。
時に永禄二年八月、―――嘗て薬師寺弾正政高が此の城を囲んだ天文十八年から、ちょうど十年の後であった。
薬師寺の時の寄せ手は二萬と云う数であったが、今度も武州公の麾下と、檜垣衆と、横輪勢と、三つの兵力が合していたから、略〻同じ数に達していた。