時に永禄二年八月、―――嘗て薬師寺弾正政高が此の城を囲んだ天文十八年から、ちょうど十年の後であった。
薬師寺の時の寄せ手は二萬と云う数であったが、今度も武州公の麾下と、檜垣衆と、横輪勢と、三つの兵力が合していたから、略〻同じ数に達していた。
それに対抗する城方の方は、最初は七八千も籠っていたけれども、日に/\降人や落人が頻出して、しまいには三四千にも充たない、微々たるものになった。
時に永禄二年八月、―――嘗て薬師寺弾正政高が此の城を囲んだ天文十八年から、ちょうど十年の後であった。
薬師寺の時の寄せ手は二萬と云う数であったが、今度も武州公の麾下と、檜垣衆と、横輪勢と、三つの兵力が合していたから、略〻同じ数に達していた。
それに対抗する城方の方は、最初は七八千も籠っていたけれども、日に/\降人や落人が頻出して、しまいには三四千にも充たない、微々たるものになった。