されば一閑斎の昔は二箇月に跨がって城を持ちこたえ、結局陥落を免れることが出来たのに、今度は八月十五日から攻撃が始まって、廿一日には三の丸を、廿五日には二の丸を奪われ、廿七日に至って遂に本丸も落城した。
その間僅か十一日に過ぎないのである。
「筑摩軍記」の記載に依ると、織部正則重は此の籠城の期間中も相変らず奥御殿に閉居して人前に姿を現わすことなく、合戦の指図は老臣共に任せきりであったが、廿二日の深更に、いよ/\城の運命が幾何もないことを悟って、八歳になる嫡男と六歳になる姫君とを、乳人に預けて密かに或る方面へ落してやった。