「筑摩軍記」の記載に依ると、織部正則重は此の籠城の期間中も相変らず奥御殿に閉居して人前に姿を現わすことなく、合戦の指図は老臣共に任せきりであったが、廿二日の深更に、いよ/\城の運命が幾何もないことを悟って、八歳になる嫡男と六歳になる姫君とを、乳人に預けて密かに或る方面へ落してやった。
そして廿七日の巳の刻頃、敵が本丸へ侵入したと云う知らせがあると、心しずかに夫人と盃を酌み交し、辞世の和歌を詠じた後に、奥御殿に火を放って先ず最愛の夫人を刺し殺し、次いで己れも自害をした、と云うことになっている。
しかし「見し夜の夢」や「道阿弥話」の方を信じれば、此の記事はアテにならない。