そして廿七日の巳の刻頃、敵が本丸へ侵入したと云う知らせがあると、心しずかに夫人と盃を酌み交し、辞世の和歌を詠じた後に、奥御殿に火を放って先ず最愛の夫人を刺し殺し、次いで己れも自害をした、と云うことになっている。
しかし「見し夜の夢」や「道阿弥話」の方を信じれば、此の記事はアテにならない。
第一則重は腹を切ったとあるけれども、介錯した者は誰であったか、そんな名前も挙げてないし、夫婦の首や屍骸についても、焼け跡を隈なく捜索したにも拘わらず、全く灰燼に帰したと見えて何も出て来なかったと記している。
そして廿七日の巳の刻頃、敵が本丸へ侵入したと云う知らせがあると、心しずかに夫人と盃を酌み交し、辞世の和歌を詠じた後に、奥御殿に火を放って先ず最愛の夫人を刺し殺し、次いで己れも自害をした、と云うことになっている。
しかし「見し夜の夢」や「道阿弥話」の方を信じれば、此の記事はアテにならない。
第一則重は腹を切ったとあるけれども、介錯した者は誰であったか、そんな名前も挙げてないし、夫婦の首や屍骸についても、焼け跡を隈なく捜索したにも拘わらず、全く灰燼に帰したと見えて何も出て来なかったと記している。