そのうえ女中たち迄が皆猛火に包まれて焼け死んだのに、和歌が記録に残っているのはおかしいと云うことになる。
晩年則重は和歌狂であったから、いかさま辞世の一首があるべきだと云うので、何者かゞ後から偽作したように疑えないでもない。
兎に角、「筑摩軍記」の作者は筑摩家の遺臣であったろうから、仮に裏面の消息を知っていたとしても、主家の不名誉になるようなことは書く筈がないと思われる。
そのうえ女中たち迄が皆猛火に包まれて焼け死んだのに、和歌が記録に残っているのはおかしいと云うことになる。
晩年則重は和歌狂であったから、いかさま辞世の一首があるべきだと云うので、何者かゞ後から偽作したように疑えないでもない。
兎に角、「筑摩軍記」の作者は筑摩家の遺臣であったろうから、仮に裏面の消息を知っていたとしても、主家の不名誉になるようなことは書く筈がないと思われる。