兎に角、「筑摩軍記」の作者は筑摩家の遺臣であったろうから、仮に裏面の消息を知っていたとしても、主家の不名誉になるようなことは書く筈がないと思われる。
正史の所伝は正史の所伝として置いて、「道阿弥話」の語るところを紹介すると、八月廿七日の朝、本丸の木戸を破って這入った武州公は、奥御殿に火の手が上るのを見るや、公を目がけて殺到する雑兵共を追い散らしつゝ、愴惶として往年の恋の通い路、―――例の石崖の下へ走って行った。
公はその穴の前で甲冑を脱ぎ捨て、身軽ないでたちで坑道を潜り抜けると、渦巻く煙に咽びながら、廊下づたいに、則重夫婦の居間へ馳せ付けた。