「首に嫉妬を感じ」「生きて彼女の傍にいるという想像は一向楽しくなかったが、もしも自分があのような首になって、あの女の魅力の前に引き据えられたら、どんなに幸福だか知れない」なんて考えるのは、奇怪なようだが、首斬りを人生の大事業とし、首斬りに絶大な歓喜を覚えていた戦国時代には首という者に、たとえ斬られた後にでも、生命が宿っていると思われていたのだ。
歌舞伎年代記などに記載されているが、昔の芝居には、獄門首が恨みを述べたり、親子の名乗りをしたりするのは、普通の事件で、見物がそういうものを喜んでいた。
道阿弥の首を賞翫しながら、若夫婦が蚊帳の中の寝床で盃の遣り取りをするのも、草双紙の趣向にもありそうなことである。