永井荷風君は、青年期にフランス文化を羨望し、フランス趣味に魅惑されたので、今なおその痕跡を留めているにしても、江戸末期の文化や趣味に寂しい愛着を感ずることによって、自己の詩境を豊かにしている。
谷崎君は平安朝の文学の清冽な泉によって自己の詩境を潤おしているとゝもに、江戸末期の濁った趣味を学ばずして身に具えている。
日本の古典としての醇粋味は平安朝文学に漂っているので、私などは、谷崎君の作品のうちでも、その風格を伝えたものを一層愛好する訳だが、谷崎君が平安朝古典の継紹者だけに留っていたら、その作品は、無気力になる弊があったかも知れない。