最初私らは、綿貫の売り込んだ材料やったら自分に都合悪いこと書けへんやろし、私と光子さんとの事なら今に始まった噂やないし、大した問題にはならんかも知れへん、まあ、まあ、そない慌てるにも及ばんやろ思てましたのんで、二、三日目エに光子さんの家い知れた時にも、「また例のわるさやってるのんです、偽筆の署名まで拵えて写真に出すやなんてあんまり悪辣ですさかい、訴えてやってもよろしいんですが」と、夫の口でええようにいいくるめさして、ほっと一と安心してたところが、記事はそいから何日たってもしまいにならんと、一層深刻に真相に触れて来て、綿貫に不利な事実かて遠慮なしに発き出したばっかりか、笠屋町の宿のこと、奈良い遊びに行ったこと、光子さんお腹に物詰めて夫に会いなさったこと、……それが、綿貫の知ってるはずないことまでも分ってるらしいて、この調子やったら、浜寺のことから狂言自殺のこと、夫渦中い巻き込んだこと、何から何まで素ッ葉抜きそうな勢いやのんです。
それにおかしいのんは、光子さんも私もお互に遣り取りした手紙大事にしもといて、誰にかて見せたことあれしませんのんに、私の方から上げた中の一通が、――えらい猛烈な、動きの取れん文句並べたある一通が、――いつの間にやらちゃんと窃まれてて、れいれいしいに写真に出されましたのんで、取ったとしたらお梅どんより外にないさかい、さては綿貫とグルになってるないうこと始めて気い付いたのんですが、そないいうたら、光子さんとこ暇出されてからも二、三べん私とこい遊びに来て、用もないのんにウロウロしてたことあって、何や様子けったいな、するだけの事はしてやったのんにまだお金でも欲しいのんかいな思いましてんけど、そないにしてやるにも及ばん思てつい放ったらかして置きましたら、何でも新聞に記事載り出す二、三日前にやって来て、妙なこというて光子さん冷かしたりして行んでしもたなり、ぷッつり姿見せしません。
「何ちゅう恩知らずやろ、家にいた時かて奉公人みたいなことあれへん、まるきりあてときょうだいみたいにさしといたのんに、……」「あんまり我が儘さし過ぎてんやわなあ。