孰方にしたかてこないなったらもう一刻も猶予出来へん、グズグズしてたら光子さん一歩も外い出られんようになるよって早う兼ねての約束通り覚悟きめよいいましたもんの、そいでもどうしょうこうしょういうて毎日相談してましたら、そのうちにとうど浜寺のこと出始めましてん。
そいから先の出来事は孰の新聞にもあない委しいに出ましたぐらいで、先生かてよう御承知ですやろし、もうもうそないに管々しいに過ぎ去った日のことお聞かせせんかて、……何や私も、あんまり長いことしゃべったせえかけったいに興奮して、辻褄の合わんこと話したような気イしますねんけど、……ただ新聞に洩れてることいいましたら、あの時第一に「死の」いい出しなさって最後の手筈きめなさったのんは光子さんでしてん。
たしかお梅どんに手紙盗まれたこと分った日イに、「こないなもん家い置いといたら危険や」いうて、証拠になるような文殻全部私とこい持って来なさいましたのんで、「焼いてしまおか」いいましたら、「いや、いや、あてらいつ何どき不意に死なんならんか分れへんさかい、書き置きの代りにこの記録遺しとこ。