そこへ行くと上方の方は浄瑠璃でも地唄でも東京のように撥を激しく打つけない。
だから余韻と円みがあると云うのだが、要も美佐子もこれには反対で、日本の楽器はどうせ単純なのだから、軽快を主とする江戸流の方が悪く毒々しい力がないだけ、邪魔にならないと云うのであった。
そして夫婦は音曲のことで老人を向うへ廻す時は、いつでも趣味が一致していた。
そこへ行くと上方の方は浄瑠璃でも地唄でも東京のように撥を激しく打つけない。
だから余韻と円みがあると云うのだが、要も美佐子もこれには反対で、日本の楽器はどうせ単純なのだから、軽快を主とする江戸流の方が悪く毒々しい力がないだけ、邪魔にならないと云うのであった。
そして夫婦は音曲のことで老人を向うへ廻す時は、いつでも趣味が一致していた。