そればかりでなく、たしか彼女の膝の前には煙草盆が置いてあって、手に長煙管を持っていたような気がするのである。
尤もその頃は江戸末期のいなせな風が下町の女に残っていて、要の母なぞも暑い時分は腕まくりなぞをしたものだから、煙草を吸っていたことが大人であったと云う証拠にはならないかも知れない。
要の家は四五年してから日本橋の方へ移ったので、彼が彼女を垣間見たのは後にも先にもたった一度だったけれど、でもそれからは琴のしらべと唄のこえとに一としお耳をそばだてるようになって、彼女が好んで繰り返すのが「ゆき」と云う曲であることを、母から聞いた折があった。