東京ではあの唄のことを上方唄と云うのだと、母が教えた。
そののち彼はその「ゆき」の唄をふっつり耳にしなかったので、忘れるともなく忘れるままに十何年かを過ごしてから、ひととせ上方見物に来て祇園の茶屋で舞妓の舞いを見た折のこと、久しぶりに又その唄を聞くことが出来ていいしれぬなつかしさを覚えた。
舞いの地をうたったのは五十を越えた老妓だったから、声にも一と通りさびがあったし、三味線の音色も鈍く、ものうく、ぼんぼんという渋いひびきで、老人がきたなく唄えと云うのはああ云う味を求めるのであろう。
東京ではあの唄のことを上方唄と云うのだと、母が教えた。
そののち彼はその「ゆき」の唄をふっつり耳にしなかったので、忘れるともなく忘れるままに十何年かを過ごしてから、ひととせ上方見物に来て祇園の茶屋で舞妓の舞いを見た折のこと、久しぶりに又その唄を聞くことが出来ていいしれぬなつかしさを覚えた。
舞いの地をうたったのは五十を越えた老妓だったから、声にも一と通りさびがあったし、三味線の音色も鈍く、ものうく、ぼんぼんという渋いひびきで、老人がきたなく唄えと云うのはああ云う味を求めるのであろう。