………その同じ事を何度か繰り返すのであるが、眼をさます毎に舞台を見ると、さっきの狂言がまだ続いていて、悠長な囃しが依然として聞え、桟敷の外は相変らず日がうらうらとテント張りに光っていて子供たちがガヤガヤ遊んでおり、長い春の一日はいつになっても暮れることは知らないかのように、………昼寝をしながらまとまりのない夢のかずかずを幾つともなく夢みてはさめ、夢みてはさめしたかのように、………太平の御代の有り難さと云おうか、桃源の国と云おうか、久しぶりに浮世を離れたのんびりとした心持になって、こんなことは幼い時分に人形町の水天官で七十五座のお神楽を見た以来であると思ったが、この小屋掛けの中の気分はちょうどあれと同じである。
屋根にも四方にも莚が張ってあるとは云うものの、莚と莚との合わせ目が隙間だらけで、見物席に日光の斑点が出来、ところどころに青空が見えたり河原の草のすいすいと伸びたのが覗いていたりして、あたりまえなら煙草の煙で濁っている筈の場内の空気が、げんげやたんぽぽや菜の花の上を渡って来る風で野天のようにカラリとしている。
場席の平土間にあたる所は地べたへござを敷いた上に坐布団が並べてあって、村の子供たちが駄菓子や蜜柑をたべながら芝居の方はそっち除けに、そこを幼稚園の運動場のようにして騒いでいる様子は、やはり里神楽の情趣と変りはない。