世界戦争から此方、日本の外国商館は次第に内地の貿易商に仕事を取られてぽつぽつ本国へ引き上げてしまうし、観光客にも昔のように馬鹿なお金を使うようなのが来なくなったのが悪いんだと、当人は云うのだが、あながちそればかりが不振の原因ではないであろう。
要がはじめて知った時分には、彼女は今ほど耄碌してはいなかった。
生れは英吉利のヨークシャアで、何とか云う女学校を出て、立派な教育を受けたと云うのを自慢にして、日本に十何年もいながらどんな時にも日本語は一と言もしゃべったことがなく、大概な女たちが植民地英語しかしゃべれない中で彼女一人が正確な英語を、それも殊更むずかしい単語や云い廻しを使い、仏蘭西語も独逸語も流暢に話した。