要は流しに出ていると体じゅうを藪蚊が喰うので、ざっとシャボンも使わずに汗を洗い落してから丁子の湯の中に浸りきっていたが、そうしていても蚊は相変らず首の周りへ襲って来る。
中はそんなに暗いのだけれど、無双窓の櫺子の外はまだうす明るく、楓の青葉が日中よりは却って冴えて織り物のような鮮やかな色を覗かせている。
なんだか辺鄙な山の湯にでも来たようで、老人がよく「うちの庭ではほととぎすが聞ける」と云っていたのを思うにつけ、こう云う時に啼かないものかなと耳を澄ましたが、聞えるものは何処か遠くの田圃の方で雨を呼んでいる蛙の声と、わーんと云う蚊の啼きごえばかりである。