要はそんなことが多少は心にかかりながら、どう云うものか二人を送り出してしまってからは何となく気が軽くなって、こうして風呂に漬かっている此処の家が、すでに第二の妻を迎えた自分の新居であるような愚かしい空想が湧くのであった。
思えばこの春からしきりに機会を求めては老人に接近したがったのは、自分では意識しなかったところの外の理由があったのかも知れない。
そういう途方もない夢を頭の奥に人知れず包んでいながら、それで己れを責めようとも戒しめようともしなかったのは、多分お久と云うものが或る特定な一人の女でなく、むしろ一つのタイプであるように考えられていたからであった。