そして水のほとりの楼のうえからかまたはお庭をそぞろあるきなさりながらか川上の方を御覧になって「やまもとかすむみなせ川」の感興をおもらしになったのであろう。
「夏の頃水無瀬殿の釣殿にいでさせ給ひて、ひ水めして水飯やうのものなど若き上達部殿上人どもにたまはさせておほみきまゐるついでにもあはれいにしへの紫式部こそはいみじくありけれ、かの源氏物語にも近き川のあゆ西山より奉れるいしぶしやうのもの御前に調じてとかけるなむすぐれてめでたきぞとよ、只今さやうの料理つかまつりてむやなどのたまふを秦のなにがしとかいふ御随身高欄のもとちかく候ひけるがうけたまはりて池の汀なるさゝを少ししきて白きよねを水に洗ひて奉れり。
ひろはゞ消えなむとにや、これもけしかるわざかなとて御衣ぬぎてかづけさせたまふ。