院の御殿は南に淀川、東に水無瀬川の水をひかえ、この二つの川の交わる一角に拠って何万坪という宏荘な庭園を擁していたにちがいない。
いかさまこれならば伏見から船でお下りになってそのまま釣殿の勾欄の下へ纜をおつなぎになることも出来、都との往復も自由であるから、ともすれば水無瀬殿にのみ渡らせ給ひてという『増鏡』の本文と符号している。
わたしは幼年のころ、橋場、今戸、小松島、言問など、隅田川の両岸に数寄をこらした富豪の別荘が水にのぞんで建っていたことを図らずもおもいうかべた。
院の御殿は南に淀川、東に水無瀬川の水をひかえ、この二つの川の交わる一角に拠って何万坪という宏荘な庭園を擁していたにちがいない。
いかさまこれならば伏見から船でお下りになってそのまま釣殿の勾欄の下へ纜をおつなぎになることも出来、都との往復も自由であるから、ともすれば水無瀬殿にのみ渡らせ給ひてという『増鏡』の本文と符号している。
わたしは幼年のころ、橋場、今戸、小松島、言問など、隅田川の両岸に数寄をこらした富豪の別荘が水にのぞんで建っていたことを図らずもおもいうかべた。