わたしは幼年のころ、橋場、今戸、小松島、言問など、隅田川の両岸に数寄をこらした富豪の別荘が水にのぞんで建っていたことを図らずもおもいうかべた。
おそれ多いたとえのようではあるが此処の御殿にいらしってときどき風流なうたげを催され、「あはれいにしへの紫式部こそはいみじくありけれ、只今さやうの料理つかまつりてむや」と仰せられたり、「ひろはゞ消えなむとにや、これもけしかるわざかな」と随身の男に祝儀をおつかわしになったりした院の御様子はどこか江戸の通人に似たようなふしもあるではないか。
それにまた情趣に乏しい隅田川などとはちがってあしたにゆうべに男山の翠巒が影をひたしそのあいだを上り下りの船がゆきかう大淀の風物はどんなにか院のみごころをなぐさめ御ざしきの興を添えたであろう。