『遊女記』の中には、観音、如意、香爐、孔雀などという名高い遊女のいたことが記してあり、そのほかにも小観音、薬師、熊野、鳴渡などという名が伝わっているがそれらの水の上の女どもの多くは何処へ行ってしまったのであろうか。
かのおんなどもがその芸名に仏くさい名前をつけていたのは婬をひさぐことを一種の菩薩行のように信じたからであるというが、おのれを生身の普賢になぞらえまたあるときは貴い上人にさえ礼拝されたという女どものすがたをふたたびこの流れのうえにしばしうたかたの結ばれるが如く浮かべることは出来ないであろうか。
「江口桂本などいふ遊女がすみか見めぐれば家は南北の岸にさしはさみて心は旅人の思ふさまにさもはかなきわざにてさてもむなしく此の世をさりて来世はいかならん、これも前世の遊女にてあるべき宿業の侍りけるやらん、露の身のしばしの程をわたらんとて仏の大いにいましめ給へるわざをするかな、我が身一つの罪はせめていかゞせん、多くの人をさへ引き損ぜんこといとゞうたてかるべきには侍らずや、しかあれどもかの遊女の中に多く往生を遂げ浦人の物の命を断つものゝ中にあって終にいみじき侍りし」と西行がいっているようにその女どもは今は弥陀の国に生れていつの世にも変らぬものは人間のあさましさであることを憫笑しているのであろうか。