わたくしはまだ父のいうことがじゅうぶんには会得できませなんだがそれでも子供は好奇心が強うござりますし父の熱心にうごかされて一生懸命に聴こう聴こうといたしましたのでこうなんとなく気分がつたわってまいりましておぼろげにわかったようなかんじがしたのでござります。
で、そのお遊さまという人はもと大阪の小曾部という家のむすめでござりましてそれが粥川という家へ器量のぞみで貰われて行きましたのが十七のとしだったそうにござります。
ところが四、五年しましてから御亭主に死に別れまして二十二、三のとしにはもう若後家になっていたのでござります。