伝には「爾来以精進法界之霊場為殺生汚穢之猟地幾許狼藉不道不遑枚挙也」と記し、消息の方には「剰殺数十鹿剥皮」と記し、「寺家之歎何事過之候哉人守忍辱之地無弓箭之間十津川之住人知如此子細動及狼藉候者也」とも云っている。
然らば当時高野山には僧兵というものがなかったのであろうか。
紀伊続風土記は曰く、「古老伝に吉野悪僧等の企にて此の山の領地を劫奪し大師の霊跡を涜さんとす、時に覚海検校深重の悲誓を発て修羅即遮那の観門を凝し魔即法海の行解を務め其の類に同じて山家を鎮護し、大師佛法の運を龍花の春に達せんとして大勢勇猛の羽翼と化し、白日に飛去すという」と。