そうしてその娘の一人は豊後国安岐の城主であった熊谷直盛に嫁ぎ、一人は尾張国犬山の城主石川貞清に嫁いだと云う。
又イツマデ草抜萃に依れば、徳川頼宣の時、紀州の町医に佐藤三益と云う者があったが、その妻は三成の娘であることが頼宣の耳に入った、依って臣下に命じて調べさせると、それに違いなく、関ヶ原の戦後乳母の才覚で助かった事実が明白となったので、頼宣深くこれを憐み、三十人扶持を給したと云う。
又熊沢蕃山の弟泉忠愛の妻は三成の孫に当っていたが、彼女は阿波国の人箕浦平左衛門の娘であって、平左衛門の妻は三成が娘であったと云う。