都が近いとは云うものゝ至って佗びしい場所であるから、日頃訪れる者もなく、尼も人に接することをあまり喜ばない風であったが、筆者源太夫は尼について昔のものがたりを聞かんものと、ひとゝせの秋釈迦堂へ詣でたついでに、そこの坊さんの紹介で漸く会うことが出来たのであった。
多分筆者は、その、思いの外うら若く、残んの色香を墨染の袖に包んでいる尼と狭い一室に膝をつき合わせ、彼女の孤独を慰めたり自分の無躾を詑びたりしながら、少しずつ身の上話を手繰り出すようにしたのであろう。
最初のうちは、尼は何を尋ねられてもたゞお耻かしゅう存じますとのみで多くを答えず、物好きな人の眼を逃れたいと云うようにさしうつむいてばかりいるので、とかく問答がとぎれがちであったが、ふと心づけば、小さな如来を安置した佛壇の中に「江東院正岫因公大禅定門」と記した位牌がある、それぞ正しく三成の法名であったから、源太夫乃ち起ってその前に至り、恭しく香を拈じて礼を作した。