最初のうちは、尼は何を尋ねられてもたゞお耻かしゅう存じますとのみで多くを答えず、物好きな人の眼を逃れたいと云うようにさしうつむいてばかりいるので、とかく問答がとぎれがちであったが、ふと心づけば、小さな如来を安置した佛壇の中に「江東院正岫因公大禅定門」と記した位牌がある、それぞ正しく三成の法名であったから、源太夫乃ち起ってその前に至り、恭しく香を拈じて礼を作した。
その様子を見てから尼の態度がやゝ和らぎ、ぽつ/\問いに応ずるけはいを示したとある。
因みに、右位牌の法名は三成が帰依していた大徳寺の圓鑑国師が選んだもので、国師は石田氏滅亡の後、深く生前の交誼を憶い、或は一門の影塔を作り或は三成の遺骸を収めて墓碑を建立し、常に冥福を祈っていたが、慶長七年十月朔日、三玄院に於いて故人の三回忌を営んだ時の偈に曰く、