即ち尼が語ったのは、父三成の刑死前後二三年の間に出遇ったことや見聞きしたこと、分けても盲人から又聞きした話が主であって、自分がどうして尼になったか、此の草庵の主となる前はいかにして浮世を過して来たか等のことは、何も聞き出せなかったと云う。
思うに尼が盲人の話を持ち出したのは、幼少の頃戦禍に追われ、有為転変の悲しみを味わったさま/″\な回想の中に於いても、それが後々まで最も強く記憶に残っていたからでもあろうが、一つには又、単なる物語としても聴き手の興味を惹かずには措かないその盲人の悲劇の方へ質問の矢を外らして行って、己れ自身の問題に触れられることを避けたのであろう。
尼が云うには、自分は慶長五年九月十八日、城の運命が極まって一族郎党が自害をしたときに己れも死ぬべき命であると覚悟を定め、幼い手に懐剣の柄を握りしめたが、母なる人が押しとゞめて、そなたは年歯も行かぬことなり、まして女子のことでもあるから、萬一敵に見出されてもあながち無慈悲には扱うまい、兎に角此の場は最期を急がず、逃げられるだけ逃げて見よ、それにお父上もよもや討死なされたのではあるまい、きっと何処かに忍んでいらっしゃるのだから、そなただけは生き延びてお父上にお目にかゝり、又亡きあとの菩提を弔うてくれたがよいと掻き口説かれたので、自分は母の袖に取り縋って泣き叫び、今母上にお別れ申して此の先どうなる身であろう、是非御一緒に死出のお供をさせて下されとせがんだけれども、母は乳人を呼んで自分を引き離してしまったので、泣く/\城を立ち去らねばならなかったと。