毎日それらの話が見て来たように伝えられたが、二十六日の日に、内府殿が秀頼様へ御挨拶のため大坂表へ御出ましになり、それと共に父も大坂へ送られたことが知れて来た。
道中は柴田左近、松平淡路守の二人が護衛して、父は小西殿や安国寺殿と一緒に、首に鉄を箝められ、罪人の乗る車に乗せられて、大坂へ着くと町を引き廻された上、今度は堺へ送られて、そこでも町を引き廻された、そうしていずれ明日あたりは、京都の町を廻されるだろうと云うのである。
それについても亦いろ/\な噂が立った。
毎日それらの話が見て来たように伝えられたが、二十六日の日に、内府殿が秀頼様へ御挨拶のため大坂表へ御出ましになり、それと共に父も大坂へ送られたことが知れて来た。
道中は柴田左近、松平淡路守の二人が護衛して、父は小西殿や安国寺殿と一緒に、首に鉄を箝められ、罪人の乗る車に乗せられて、大坂へ着くと町を引き廻された上、今度は堺へ送られて、そこでも町を引き廻された、そうしていずれ明日あたりは、京都の町を廻されるだろうと云うのである。
それについても亦いろ/\な噂が立った。