それについても亦いろ/\な噂が立った。
父も、摂津殿も、安国寺殿も、捕われた時は衣服などもぼろ/\に破れ、見すぼらしい落人の姿をしていたのを、車に乗せるときに内府どのが御覧になって、此の三人はいずれも一国一城の主、分けても治部少輔は天下の政務を執りし者、たとい軍敗れて身の置きどころなしとても、それは武門の常なれば耻と云うべからず、今此のような見苦しき服装にて京大坂を引き廻すは、吾等同様に武士の本意でないと仰っしゃって、三人に小袖を下されたところが、摂津守と安国寺とは有難くお受けをし、内府殿の恩を謝したけれども、父は解せぬ顔つきをして、「一体これは、誰の贈り物でござるか」と尋ねた。
傍にいた者が「それこそは江戸の上様よりの下され物でござる」と云うと、「江戸の上様とは誰のことでござる」と、又押し返して尋ねるので、「徳川殿じゃ」と云って聞かせると、「何しに徳川殿を上様と云うべきや、上様と申すは秀頼様より外にはなきものを」と、父はそう云って不敵なあざ笑いを浮かべたと云う。