父と云うものを、太閤さまのお眼がねにかなって微賤の身から出世をした非凡な人間、偉い男としてより外に考えられない娘には、刀折れ矢盡きた今日に及んでも徳川殿の威勢に屈せず、事毎に楯をついているのが、いかにも平生の父らしく感ぜられて、きっとその時の通りであったろうと推量するにつけても、そう云う父が剛腹な顔つきをして車に乗せられ、首に鉄を箝められて、大坂や堺の町々を引き廻された様を考えると、いたましいとか情ないとか思うより先に、すさまじい気持が胸一杯になるのであった。
ありていに云うと、負けても意地を張っている父の方が、摂津守殿や安国寺殿よりずっと偉いのかも知れず、それが英雄の態度と云うものかも知れないけれども、諸人の眼に曝されて沿道に溢れる悪口雑言を浴びながら、蒼白な顔に太々しい笑みをたゝえつゝ傲然と曳かれて行ったであろう父の餘りな鼻柱の強さが、見ることはおろか、想像するだけでも空恐ろしく、気の弱い娘は身の毛がよだつようになって、居たゝまれない心地がした。
さればそのゝち父が京都へ送られて来て、所司代奥平殿の邸へ預けられたと聞いたときにも、同じ都の近いところにいると云うことが、なつかしくもある一面に、何だか恐いものが側へ寄って来たようで、体がすくむような気がしたが、そうこうするうち、月が改まって十月の朔日に、いよ/\都の辻々を引き廻されて、七条河原で斬られることになったのであった。