ところで、順慶が何故に秀次一族の墓守となったかはこれから後に説くであろうが、「聞書」に依れば彼は盲人であったのである。
当時、世間では悪逆塚のことを俗に「畜生塚」と呼んでいたが、此の行者のことを「畜生塚の順慶」と称して、三条辺では誰知らぬ者もなかったのであった。
順慶はよく、十四五になる小坊主に手引きをさせて京の町をさまよい歩き、或は人家の軒に立って経を読み、或は奥へ請ぜられて加持祈祷をし、日々僅かな布施を得て糊口を凌いでいたらしかったが、どうかすると、こんな工合にたった一人で河原や橋のあたりへ来てうろついていたり、欄干にもたれながら見えない眼を伏せて水の流れを眺めたりしていた。