愚僧はそんな雑沓の中へ出かけたところで仕様がござりませぬけれども、見えない眼にもおいとしい方々の御最期を拝みとうて、大勢の人に揉まれながらお仕置場の際まで参って、女房衆のお泣きになるお声や見物人の何や彼やと取り沙汰するのを聞いていたのでござります。
それ故よう知っておりますが、つい此の河原に二十間四方も堀を掘りまして、ぐるりへ鹿垣を結いましてな、殿のお首はその垣の中に、西向きに据えてござりました。
そうしておいて、八月の二日の朝早く、いたいけな方々やお若いお美しい方々を、一輛に二三人ずつお乗せ申して、町中を車で引き廻した揚句の果てに、その垣の中へ引き込んだのでござりますが、そんな荒々しいお取り扱いをおさせになったのは、太閤殿下の御本意でござりましたろうか。