又小田原の北条早雲は、盲人は無用の者であるから領内のめくらを搦め取って海に沈めよと云う触れを出し、その噂を聞いて領外へ逃げ散った盲人の或る者を密かに間者に用いていた。
その外、甲斐の武田信玄は徳川方の細作を掃蕩するために領内の盲人八百人を鏖殺したと云う伝説があり、続々群書類従第十教育部所載北条幻庵覚書には、女中が盲人を近づけることの危険を説いて、戒めている一節がある。
一 ざとうしゆ参候はゞ御さか月給ひ御ひき給候べく候、あなたがたに候はんずるざとうしゆ参候はゞ御ねん比は候べく候、なれ/\しくは御おき候まじく候、ついでに心へ候へ、ざとうとてもおとこのめのくらきにて候、女中がたへあんないなしに立入物にてはなく候、(中略)きんねんざとうと申せばいづれもおくがたへ参候、心へがたく候へども御国ぶりにて候まゝ一人して申されず候、たゞしみん一など参候はゞ御心やすく御よび候てもくるしからず候、おさなくより御しり候、又としよりぬるがふつゝかの物にて候、御ねんごろよく候べく候、さ一これ又おなじごときの物にて候、その外はなれ/\とはめし候まじく候、さて候ともざとうしゆなど三こんなどのうちには御しやうばんにはめし候まじく候、御つぎにて給候か、又御またせ候てのちに御さかな給候て、くこん給候べく候