又一説に、圓一は家康の間牒として甲斐に入り、武田家の機密を探ったので、信玄が領内の盲人八百人を鏖殺しようとしたのはそれが原因であったと云う。
もし圓一が伝うる如く家康の愛妾阿茶の局の縁辺の者であったとすれば、徳川氏、今川氏、北条氏等の庇護を得たのも偶然でないが、何にしても反覆常なき諸大名の間を渡り歩いていた彼は、陽に遊藝を標榜して陰に軍事探偵を副業とした典型的な座頭の一人だったのである。
而も三成の命を啣んで細作となるべく志した行者順慶、当時の下妻左衛門尉は、此の圓一と入魂であったのを幸いに、彼の盡力に依って短時日の間に当道の瞽官を得たと云う。